高温動作可能な高出力テラヘルツ量子カスケードレーザー

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非平衡グリーン関数計算による新しいリーク電流の解析

2019-02-15  理化学研究所

理化学研究所(理研)光量子工学研究センターテラヘルツ量子素子研究チームの林宗澤研究員、王利特別研究員、王科研究員(研究当時)、平山秀樹チームリーダーらの共同研究チームは、「非平衡グリーン関数法[1]」に基づく第一原理計算[2]を用いて、「テラヘルツ光[3]」を光源として用いる「テラヘルツ量子カスケードレーザー[4]」の高出力化および高温動作性能の向上に成功しました。

本研究成果は、イメージングや短距離超高速大容量無線通信[5]に向けた半導体レーザーへのテラヘルツ光の応用に貢献すると期待できます。

テラヘルツ量子カスケードレーザーには高出力、連続動作、狭線幅[6]などの特長があるものの、動作温度は最高でも199.5K(-73.65℃)と低く、室温での動作にはまだ至っていません。

今回、共同研究チームは、非平衡グリーン関数法に基づいた第一原理計算によって、テラヘルツ量子カスケードレーザーの発光層構造における電子密度分布・電流分布・光利得[7]を直接計算する方法を開発し、これらが液体ヘリウム温度(4K、-269℃)から室温までの間でどのように変動するかをシミュレーションしました。これにより、従来の構造設計では定量化が難しかった、上位発光準位[8]から発光過程に直接寄与しない遠距離の高エネルギーサブバンド準位[9]への「リーク電流[10]」の存在を発見し、高出力動作および高温動作に対するこのリーク電流の影響を解析しました。そして、このリーク電流を抑制する新たな構造のデバイスを設計・作製し、液体窒素温度(77K、-196℃)での高出力化を実現しました。

本研究成果は、応用物理学会のオンライン科学雑誌『Applied Physics Express』(2018年10月4日付け)に掲載されました。

液体窒素デュワーと組み合わせたテラヘルツ量子カスケードレーザーの図

図 液体窒素デュワーと組み合わせたテラヘルツ量子カスケードレーザー

※共同研究チーム

理化学研究所 光量子工学研究センター テラヘルツ量子素子研究チーム
チームリーダー 平山 秀樹(ひらやま ひでき)
研究員 林 宗澤(リン ソウタク)
特別研究員 王 利(ワン リ)
研究員(研究当時)王 科(ワン カ)

ネクストナノ(Nextnano)社
研究員 トーマス グランジ(Thomas Grange)

背景

光と電波の特性を兼ね備えた「テラヘルツ(THz)光」は、物体内部の透過像の取得や分子間相互作用の検出ができるため、セキュリティや分光分析をはじめとする広範な分野への応用が期待されています。テラヘルツ光源を用いた半導体レーザーの「テラヘルツ量子カスケードレーザー」は、小型ながら高出力、連続動作、狭線幅などの特長を持っています。

しかし、テラヘルツ量子カスケードレーザーの応用にはいくつかの課題があります。まず、現段階におけるテラヘルツ量子カスケードレーザー(3.2THz)の最高動作温度は199.5K(-73.65℃)と低く、室温での動作にはまだ至っていません。その上、199.5Kでの出力は低温時(~10K、-263℃)に比べて2、3桁低下するため、出力特性の制御もまだ不完全です。これらを解決するためには、テラヘルツ量子カスケードレーザーの動作を詳しく解析・理解し、素子構造などを改善する必要があります。

研究手法と成果

共同研究チームはまず、非平衡グリーン関数法に基づいた第一原理計算により、テラヘルツ量子カスケードレーザーの発光層の超格子構造[11]における電子密度分布、電流分布、光利得(レーザー媒質中の光の増幅量)を直接計算する方法を開発しました。この方法では、温度変化によって動作時の電気特性や光利得などがどのように変わるかを、液体ヘリウム温度(4K、-269℃)から室温までの範囲でシミュレーションできます。

従来のガリウム砒素(GaAs)を素材とするテラヘルツ量子カスケードレーザーの解析や設計では、レーザーの発振に直接関わるエネルギー準位である「サブバンド準位」(注入準位[8]、発光準位[8]、引き抜き準位[8])を中心に発光層の構造最適化が行われており、他の高いエネルギーのサブバンド準位(高エネルギーサブバンド準位)との相互作用は計算による定量評価が難しく、ほとんど考慮されていませんでした。

これに対し今回開発した方法では、積層構造中の全てのエネルギー領域のサブバンド準位を同時に考慮し、各サブバンド準位間の相互作用とその影響を総合的に解析できます。解析の結果、上位発光準位から発光過程に直接寄与しない遠距離の高エネルギーサブバンド準位への「リーク電流」の発見および定量化に成功しました(高エネルギーサブバンド準位を最適化していない構造:構造1)。そして、このリーク電流は、周期nの上位発光準位と隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていることにより発生していることが分かりました(図1上)。そして、非平衡グリーン関数法により高エネルギーサブバンド準位を最適化することで(構造2)、リーク電流が抑制されることを示しました(図1下)。

また、リーク電流が光利得に与える影響が、従来の予想よりも大きいことが分かりました。図2に光利得の温度依存性の計算結果を示しています。構造1では、周期nの上位発光準位と、隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていました。構造2ではこの状態が解消され、上位発光準位からのリーク電流が減少しました。その結果、構造1に比べ低温領域での最高光利得が大きく改善しており、液体窒素温度(77K)まで高い最高光利得が保たれています。このように、新たなリーク電流の経路とメカニズムを特定したことで、リーク電流を抑えるように発光層構造を最適化できました。

次に、この構造を用いることで実際にどの程度リーク電流が抑制できるかを評価するため、上述の計算結果をもとに、レーザーの発光領域幅200マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)、共振器長1mmの通常サイズのデバイスを用いたテラヘルツ量子カスケードレーザー(構造2)と液体窒素デュワーを組み合わせたレーザー発振システムを作製しました(図3)。

図4に、構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの電流-電圧特性、電流-出力、発振スペクトルの評価結果を示します。4K(-269℃)で350mW、80K(-193℃)で50mWというピーク出力が実現されました。平均出力は4Kで3.2mW、80Kで0.45mWに達し、単位面積当たりの出力ではテラヘルツ量子カスケードレーザーの中で世界トップレベルに相当します。また、構造1のピーク出力(4Kで250mW、80Kで10mW)と平均出力(4Kで2.3mW、80Kで0.09mW)に比べて、構造2ではどちらも大幅に向上したことも分かりました。このように、従来型の基本設計によるテラヘルツ量子カスケードレーザーであるにもかかわらず、高出力化と高温動作が実現しました。

今後の期待

本研究では、非平衡グリーン関数計算法を用いた第一原理計算によって新たな経路のリーク電流の解析と特定を行い、この知見に基づいたレーザー発振デバイスを作製した結果、テラヘルツ量子カスケードレーザーの高出力化および高温動作性能の向上に成功しました。特に、直接発振過程に寄与していない遠距離の高エネルギーサブバンド準位の光利得と電流分析への影響の定量分析は、世界初の試みです。

この解析方法と、今回提案した新たな発光層構造の改善法は、特定の材料システムや基本設計にとどまらず、テラヘルツ量子カスケードレーザーの開発全般における特性改善に大きな影響を与える重要な成果です。

本手法の活用により、今後、世界に先駆けた高温・高出力動作の実現が期待され、幅広いテラヘルツ光応用分野の開拓に大きく貢献すると考えられます。

原論文情報

Tsung-Tse Lin, Li Wang, Ke Wang, Thomas Grange and Hideki Hirayama, “Optimization of terahertz quantum cascade lasers by suppressing carrier leakage channel via high-energy state”, Applied Physics Express, vol. 11, 112702 (2018), 10.7567/APEX.11.112702

発表者

理化学研究所
光量子工学研究センター テラヘルツ量子素子研究チーム
研究員 林 宗澤(リン ソウタク)
特別研究員 王 利(ワン リ)
研究員(研究当時) 王 科(ワン カ)
チームリーダー 平山 秀樹(ひらやま ひでき)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

補足説明
  1. 非平衡グリーン関数法
    物性物理の理論計算でよく用いられる方法の一つが、場の理論を基盤とするグリーン関数法である。そのうち、非平衡グリーン関数法は、非平衡状態の密度行列の時間発展方程式に、順方向の時間発展と逆方向の時間発展の二つの時間経路を組み合わせた特別な時間経路(ケルデッシュ経路)を考察することにより、種々のグリーン関数を定式化する方法である。
  2. 第一原理計算
    物質を構成する原子や分子の電子の振る舞い(電子状態)を、経験的な情報を使わずに求める計算。ミクロな世界を支配する量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式を解くことにより、電子の振る舞いが明らかになる。
  3. テラヘルツ光
    周波数が1012Hz(1兆ヘルツ)付近(0.1~100THz)にある電磁波。光波と電波の中間の周波数帯であり、双方の特性を併せ持つ。近年、この領域の光源や検出のためのレーザー技術が急速に向上し、世界的に研究が行われるようになった。
  4. テラヘルツ量子カスケードレーザー
    1テラヘルツ(THz)の波長は300μm。一般的にテラヘルツ波はmm以下のサブミリ波(長波長側はミリ波、広義のマイクロ波)から短波長側の遠赤外線と重なる。量子カスケードレーザーは、半導体量子井戸中に形成される量子準位(サブバンド)間の光学遷移を利用した、中赤外からTHz領域の広い波長範囲をカバーする半導体レーザーである。
  5. 短距離超高速大容量無線通信
    数十から数百メートルの距離における伝送速度が、毎秒数十ギガビット以上の通信のこと。
  6. 狭線幅
    スペクトル線は、ある範囲の周波数帯にわたって分布する。線幅はスペクトル線の波長または周波数の広がり幅のこと。サブバンド間遷移を利用した量子カスケードレーザーの線幅は数百GHzで、一般的な半導体レーザーに比べて3、4桁狭い。狭線幅とは、このような状態を指す。
  7. 光利得
    レーザー媒質中の光の増幅量。媒質中では、励起状態に光が入射すると、誘導放出により入射光を増幅でき、レーザーが発振される。
  8. 注入準位、発光準位、上位発光準位、引き抜き準位
    レーザーを実現するためには、エネルギーの高い準位にある原子をエネルギーの低い準位にある原子よりもたくさん作らなければならず、これを反転分布とよぶ。「発光準位」には、「上位発光準位」と「下位発光準位」があり、反転分布の状態において、電子は上位発光準位から下位発光準位に遷移し、光電効果によりそのエネルギー差が電磁波のエネルギーとなる。この光電変換する前と後のエネルギー準位が上位発光準位と下位発光準位である。「注入準位」とは反転分布するために、電子を上位発光準位に効率よく大量注入するためのエネルギー準位。「引き抜き準位」とは反転分布するために、下位発光準位の電子を高速で引き抜くためのエネルギー準位のこと。
  9. サブバンド準位
    量子井戸などの量子構造において、縮退したバンドが分裂して複数のバンドに分かれる。この分かれたバンドをサブバンド(エネルギー準位の一種)と呼ぶ。サブバンドのバンド間遷移は通常の遷移に比べて高速で、線幅(エネルギー差)が狭いため、光デバイスへの応用が期待できる。
  10. リーク電流
    レーザーの動作準位以外、本来流れない経路(注入準位から発光準位、発光準位から引き抜き準位、引き抜き準位から次の注入準位)から漏れ出す電流のこと。
  11. 超格子構造
    異種の物質を規則的に層状に積重ねて、それぞれの原子が結晶格子を作ると同時に、全体でもそれらを重ね合わせた人工結晶格子構造。

 

非平衡グリーン関数法で計算した電流マッピング図の画像

図1 非平衡グリーン関数法で計算した電流マッピング図

上段は、高エネルギーサブバンド準位を最適化していない構造(構造1)、下段は、非平衡グリーン関数法により高エネルギーサブバンド準位を最適化した構造(構造2)の電流マッピング図。電流マッピング図を比較すると、構造1の電流は上位発光準位から周期n+1の方に伸びていることが分かる。これにより、リーク電流が発生する原因は、周期nの上位発光準位と隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていることにあることが分かった。

構造1と構造2の最高光利得の温度依存性の計算結果の図

図2 構造1と構造2の最高光利得の温度依存性の計算結果

高エネルギーサブバンド準位を最適化した構造2では、上位発光準位からのリーク電流が減少するため、構造1に比べると低温領域での最高光利得が大きく改善しており、液体窒素温度(77K)まで高い最高光利得が保たれていることが分かる。

本研究で作製したテラヘルツ量子カスケードレーザーの図

図3 本研究で作製したテラヘルツ量子カスケードレーザー

(左)液体窒素デュワー(左側)とテラヘルツ量子カスケードレーザーを組み合わせた発振システム。
(右)内蔵されたテラヘルツ量子カスケードレーザーアレイの拡大写真

本研究で作製した構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの特性の図

図4 本研究で作製した構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの特性

(左) 構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの電流-電圧特性と電流-光出力特性。4Kで350 mW、80Kで50mWというピーク出力が実現された。
(右)発振スペクトル。テラヘルツ波領域の約3.4THzに狭線幅のスペクトルが見られる。

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