真空の謎に迫る精密実験始動

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パイ中間子で探る超高密度の世界

2018/04/13 理化学研究所 奈良女子大学 鳥取大学

要旨

理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センタースピン・アイソスピン研究室の西隆博特別研究員、中間子研究室の板橋健太専任研究員、奈良女子大学理学部数物科学科の比連崎悟教授、鳥取大学農学部生命環境農学科の池野なつ美講師らの国際共同研究グループは、理研の重イオン加速器施設「RIビームファクトリー(RIBF)[1]」を用いて、「パイ中間子[2]原子」という“奇妙な”原子を、従来の数十倍の時間効率で大量生成することに成功しました。

パイ中間子原子とは、電子の代わりに「パイ中間子」という電子の300倍の質量を持つ粒子を原子核に束縛させた原子です。粒子の周回軌道の半径はその質量に反比例するため、パイ中間子は原子核表面をこするような軌道をとり、これを詳しく調べることで、原子核内部の情報を得ることができます。原子核内部は、水の約100兆倍という超高密度の世界です。パイ中間子原子を精密に調べることは、約138億年前に起こった大爆発(ビッグバン)による宇宙創生直後の超高温・高密度の世界から「真空」がどのように変化してきたかを解き明かす鍵となります。

本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(4月12日付け:日本時間4月13日)に掲載される予定です。

※国際共同研究グループ

理化学研究所 仁科加速器科学研究センター
スピン・アイソスピン研究室
特別研究員 西 隆博(にし たかひろ)
中間子研究室
専任研究員 板橋 健太(いたはし けんた)

奈良女子大学 理学部 数物科学科
教授 比連崎 悟(ひれんざき さとる)

鳥取大学 農学部 生命環境農学科
講師 池野 なつ美(いけの なつみ)

本研究には理化学研究所、奈良女子大学、鳥取大学、京都大学、東京大学、ノートルダム大学(米国)、ドイツ重イオン研究所(ドイツ)、ステファンマイヤー研究所 (オーストリア)から39名の研究者が参加。

背景

全ての物質は原子からできています。原子の中には電子と原子核が存在しており、原子核は陽子と中性子によって構成されています。さらに陽子や中性子を分割すると三つのクォーク[3]になり、クォークはこれ以上分割できない素粒子であるというのが現代の標準的な物理学の考え方です。電子は、他の粒子と比べると無視できるほど軽いので、全ての物質の質量は陽子や中性子が担っているといえます。では、その構成粒子であるクォークが質量の源であると考えてよいでしょうか。実は、この一見当たり前といえる問いの答えは、“ノー”なのです。

陽子や中性子を構成するクォークにはアップ(u)とダウン(d)の2種類があり、それぞれの質量は約2MeV/c2(Mは100万、eVは電子ボルト、cは光の速度、1MeV/c2は約1.7×10-30kg)と5MeV/c2です。ところが、2個のアップクォークと1個のダウンクォークからなる陽子や、1個のアップクォークと2個のダウンクォークからなる中性子の質量は約1,000MeV/c2であり、クォーク質量の和の約100倍も重いのです(図1)。

この謎を解き明かす鍵となるのが、「真空」とそこに満ちている「クォーク凝縮[4]」です。真空とは、何もない空っぽの空間でしょうか。2008年にノーベル賞物理学賞を受賞した南部陽一郎博士は、「真空とは空っぽの空間ではなく、クォークとその反粒子である反クォーク[3]が組み合わさってできるクォーク凝縮が満ちた世界である」と考えました。クォーク凝縮は、ビッグバンによる宇宙創成直後の高温・高密度状態では存在していませんでしたが、その後宇宙が広がり冷えていく過程で発生したと考えたのです。その結果、クォークにクォーク凝縮がまとわりつき、陽子や中性子が100倍も重くなったというのです。

南部博士が予言するクォーク凝縮の存在を実証するためには、どうすればよいでしょうか。クォーク凝縮は私たちの周りに満ちており、空気のようにそこに当たり前にあるものなので、その存在を確認するのは困難です。空気の場合は、空気のないところでは物が燃焼しないことを確認することで、その存在を知ることができます。クォーク凝縮の研究でも同様に、クォーク凝縮が存在しない、または減少している場所を探すことが最適です。そのような場所の一つが、原子核内部です。原子核の中は水の約100兆倍もの高密度であり、宇宙創生直後と同様にクォーク凝縮の量が減少していることが期待されます。

この原子核内部を調べる手段の一つが、「パイ中間子原子」の精密測定です。普通の原子では、原子核の周りを電子が周回しています。パイ中間子原子では、電子の代わりに「パイ中間子」という電子の約300倍の質量を持つ粒子を原子核に束縛(結合)させます。すると、粒子の周回軌道の半径はその質量に反比例するため、パイ中間子は原子核表面をこするような軌道をとります(図2)。このとき、パイ中間子が原子核の内部から受ける反発力がクォーク凝縮の量と関係を持つ(クォーク凝縮が増加すると反発力が増加する)ため、パイ中間子と原子核の束縛エネルギー[5]の精密測定から、原子核内部のクォーク凝縮の量を計算することができます。

これまでもパイ中間子原子を生成し、その束縛エネルギーを測定する実験は行われてきました。しかし、時間あたりの生成数が低いため、精密測定を行うのは難しく、少なくとも数週間単位の実験が必要でした。そのため、時間効率を改善し、より精密に検証する必要がありました。

研究手法と成果

まず、パイ中間子原子をどのように作り出し、測定するか説明します。パイ中間子は、主に宇宙から降ってくる陽子が大気に衝突することで、自然界でも生成されることがあります。しかし、その寿命は短く、約30ナノ秒(ns、1nsは10億分の1秒)で崩壊します。そのため本研究では、パイ中間子をあらかじめ用意して原子に束縛させるのではなく、粒子を原子にぶつけたときのエネルギーを使って、原子核上でパイ中間子を作り出す手法を用いました。

加速した重陽子(陽子1個と中性子1個)をスズ(Sn)原子核に衝突させると、ある確率で重陽子がスズ原子核内の中性子と反応して陽子とパイ中間子を生み出します。パイ中間子がスズ原子核に束縛されてパイ中間子スズ原子となり、陽子と重陽子が結びついてヘリウム(He)原子核(陽子2個と中性子1個)となって前方に射出されます(図3)。

生成されたパイ中間子原子は、パイ中間子よりもさらに寿命が短く、数ゼプト秒程度(zs、1zsは1兆分の1ns)で崩壊します。そこで、パイ中間子原子そのものではなく、反応で射出されるヘリウム原子核の運動エネルギーを測ります。ヘリウム原子核のエネルギーと重陽子ビームのエネルギーの差が、パイ中間子原子の持つ束縛エネルギーということになります。

国際共同研究グループは、理研の重イオン加速器施設「RIビームファクトリー(RIBF)」の誇る世界最高強度の「超伝導リングサイクロトロン加速器(SRC)[6]」により、光速の約60%に加速した重陽子ビームを用いました(図4)。これにより、1秒あたり1012個(1兆個)に迫る大強度の重陽子ビームをスズ標的に照射し、パイ中間子原子を効率よく生成できました。

その結果、約15時間という短い測定時間で、従来の数週間分に匹敵する約2万個のパイ中間子原子のデータが得られました。多くのパイ中間子原子を測定することで、データのばらつきを平均し、より精度の高い情報を得られます。本研究により、パイ中間子原子を従来の数十倍の時間効率で大量生成し、パイ中間子原子の束縛エネルギーを高精度で決定することが可能となりました。

また、ヘリウム原子核の射出角度が異なる場合のパイ中間子原子のエネルギースペクトルの測定にも初めて成功しました。図5は、実験で得られたヘリウム原子核のエネルギースペクトルを示しています。スペクトル中には複数のピークがみられますが、これらはそれぞれパイ中間子が異なる周回軌道に束縛されたパイ中間子原子に対応します。四つのスペクトルは、ヘリウム原子核の射出角度がそれぞれ0.0~0.5°、0.5~1.0°、1.0~1.5°、1.5~2.0°に対応します。従来の測定では、0.0~0.5°程度の範囲のスペクトルのみが得られていました。本研究では、より大きな角度まで測定できるスペクトロメータ[7]を用いることで、最大2.0°までのスペクトルを得られました。

パイ中間子は、量子力学によって決まる特定の軌道(1s、2pなど)に束縛されます。ヘリウム原子核の射出角度と軌道には密接な関係があり、今回初めてパイ中間子が1s軌道[8]、2p軌道[8]に束縛されたパイ中間子原子を同時に精密測定することに成功しました。

今後の期待

本研究では、従来と比べて数十倍の時間効率でパイ中間子原子を生成し、粒子の射出角度の異なるエネルギースペクトルを初めて得るなど新たな知見を得ました。この成果は、パイ中間子原子の生成メカニズムをより詳細に理解することにつながります。

次のステップでは、より多くのデータによって原子核内のクォーク凝縮の減少率を高精度で決定します。現在、複数のスズ同位体(中性子数の異なる元素)を標的とした実験を計画しています。中性子はパイ中間子と反発するため、中性子の数を変えることで、パイ中間子の軌道が大きくなり、原子核表面付近の比較的密度の低い場所の情報を得ることができます。このような研究によって、クォーク凝縮の密度依存性を実験的に調べられると考えています。

本研究は、理研のRIBFで行われました。新元素の発見など原子核の研究で世界をリードする同施設ですが、本研究のような“奇妙な”原子の生成など、今後もより広い分野での研究が行われることが期待できます。

原論文情報

T. Nishi, K. Itahashi, G.P.A. Berg, H. Fujioka, N. Fukuda, N. Fukunishi, H. Geissel, R.S. Hayano, S. Hirenzaki, K. Ichikawa, N. Ikeno, N. Inabe, S. Itoh, M. Iwasaki, D. Kameda, S. Kawase, T. Kubo, K. Kusaka, H. Matsubara, S. Michimasa, K. Miki, G. Mishima, H. Miya, H. Nagahiro, M. Nakamura, S. Noji, K. Okochi, S. Ota, N. Sakamoto, K. Suzuki, H. Takeda, Y.K. Tanaka, K. Todoroki, K. Tsukada, T. Uesaka, Y.N. Watanabe, H. Weick, H. Yamakami, and K. Yoshida, “Spectroscopy of pionic atoms in 122Sn(d,3He) reaction and angular dependence of the formation cross sections”, Physical Review Letters

発表者

理化学研究所
仁科加速器科学研究センター スピン・アイソスピン研究室
特別研究員 西 隆博(にし たかひろ)

仁科加速器科学研究センター 中間子研究室
専任研究員 板橋 健太(いたはし けんた)

奈良女子大学 理学部数物科学科
教授 比連崎 悟 (ひれんざき さとる)

鳥取大学 農学部生命環境農学科
講師 池野なつ美 (いけの なつみ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

奈良女子大学 総務・企画課広報係

鳥取大学 総務企画部 総務企画課 広報企画係

産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 産業連携本部 連携推進部

補足説明
  1. RIビームファクトリー(RIBF)
    水素からウランまでの全元素のRI(放射性同位元素)を世界最大強度でビームとして発生させ、それを多角的に解析・利用することにより、基礎から応用にわたる幅広い研究と産業技術の飛躍的発展に貢献することを目的とする次世代加速器施設。施設はRIビームを生成するために必要な加速器系、RIビーム分離生成装置(BigRIPS)で構成されるRIビーム発生系施設、および生成されたRIビームの多角的な解析・利用を行う基幹実験装置群で構成される。これまで生成不可能だったRIも含めて約4,000個のRIを生成できると期待されている。
  2. パイ中間子
    パイ中間子は、湯川秀樹によってその存在を予言され、後に実験によって発見された粒子。陽子や中性子同士を結びつける粒子の一つとしても知られる。パイ中間子には、電荷が正のパイプラス中間子(π+)、電荷が負のパイマイナス中間子(π)、中性のパイゼロ中間子(π0)の3種類がある。本研究で電子の代わりに原子核に束縛されるのはパイマイナス中間子である。
  3. クォーク、反クォーク
    クォークは、原子核を構成する素粒子で質量の異なる6種類があり、軽い方からアップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップと名付けられている。ある粒子に対して、質量や寿命などの性質が同じで、電荷のプラス・マイナスのみが反対の粒子を反粒子と呼ぶ。反クォークはクォークの反粒子である。
  4. クォーク凝縮
    クォーク凝縮とは、クォークと反クォークが対となって真空中に凝縮している状態を指す。対称性が破れた世界では、クォーク凝縮が安定して空間に“詰まっている”状態となっている。
  5. 束縛エネルギー
    結合エネルギーともいう。例えば電子と原子核、もしくは月と地球のようにお互いに引き合う二つの物体において、お互いがどの程度強く結びついているかを表すエネルギー量。
  6. 超伝導リングサイクロトロン加速器(SRC)
    サイクロトロンの心臓部にあたる電磁石に超伝導を導入し、高い磁場を発生できる世界初のリングサイクロトロン。全体を純鉄のシールドで覆い、磁場の漏洩を防ぐ磁気漏洩磁気遮断の機能を持っている。総重量は8,300トン。このSRCを使い非常に重い元素であるウランを光速の70%まで加速できる。また、超伝導という方式によって従来の方法に比べ100分の1の電力で動かせるため、大幅な省エネも実現している。
  7. スペクトロメータ
    粒子や光をそのエネルギーに応じて異なる位置や角度に解像する装置の総称。光に対するプリズムなどがある。
  8. 1s軌道、2p軌道
    パイ中間子(もしくは原子核に束縛された粒子)の軌道の種類。最初の数字は主量子数と呼ばれ、数字が小さいほど原子核に近い軌道に対応する。アルファベットはパイ中間子の軌道の形を表す。例えばs軌道は球状の軌道、p軌道は軸対称な軌道をしている。

 

陽子とクォークの質量の違いの図

図1 陽子とクォークの質量の違い

陽子は一般に三つのクォーク(ダウン1個とアップ2個)からなると説明されますが、それらの質量を足し合わせても陽子の質量の1%程度にしかならない。これは、真空中にクォーク凝縮が詰まっており、陽子を構成しているクォークにもクォーク凝縮がまとわりついているからである。

普通の原子とパイ中間子原子の比較の図

図2 普通の原子とパイ中間子原子の比較

普通の原子では原子核を電子が周回するが、パイ中間子原子では電子の代わりにパイ中間子が周回する。その軌道半径は電子の場合よりもずっと小さく、原子核の大きさと同程度である。これを詳細に調べることで、水の100兆倍という超高密度である原子核内部の情報を得ることができる。

パイ中間子原子の生成反応の図

図3 パイ中間子原子の生成反応

重陽子(1個の陽子pと1個の中性子n)をスズ原子核に衝突させると、ある確率で重陽子がスズ原子核内の中性子と反応して陽子とパイマイナス中間子(π)を生み出す。パイ中間子がスズ原子核に束縛されてパイ中間子スズ原子となり、陽子と重陽子が結びついてヘリウム原子核(2個のpと1個のn)となって前方に射出される。

超伝導リングサイクロトロン(SRC)の図

図4 超伝導リングサイクロトロン(SRC)

超伝導リングサイクロトロン加速器(SRC)により、光速の約60%に加速した重陽子ビームを用いて、1秒あたり1012個(1兆個)に迫る大強度の重陽子ビームをスズ標的に照射し、パイ中間子原子を効率よく生成できる。

ヘリウム原子核の射出角度ごとのパイ中間子原子のエネルギースペクトルの図

図5 ヘリウム原子核の射出角度ごとのパイ中間子原子のエネルギースペクトル

横軸はパイ中間子原子のエネルギー、縦軸は生成断面積(生成されたパイ中間子原子の個数に対応)を表す。従来の研究では、灰色の矢印で示された領域のスペクトルしか測定されておらず、2p軌道に対応するピークはほとんどみられなかった。本研究では、赤い矢印で示される、より広い角度領域でエネルギースペクトルが得られた。その結果1s軌道のみでなく、角度の大きな領域で現れる2p軌道に束縛されたパイ中間子原子も精密に測定することに成功している。なお、図中にある他の構造は、その他の軌道に束縛されたパイ中間子原子などに対応する。

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