簡単な物理モデルで解き明かす微生物の生存戦略

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繊毛虫テトラヒメナの壁面付近への集積メカニズムを解明

2018/03/15 京都大学 東北大学 自然科学研究機構 基礎生物学研究所

テトラヒメナやゾウリムシなどに代表される繊毛虫は池や湖などの広い空間を遊泳している印象が強いですが、実は野外では池の底や石、葉っぱの表面などの固体と液体の境界である壁面付近に多く分布していることが経験的に知られています。この壁面付近は、餌となる有機物が堆積し、周りの流れも弱くなるため環境の変化が少ない、繊毛虫にとっては生きやすい環境であると言えます。しかしながら、遊泳しているはずの繊毛虫テトラヒメナがどのようにして壁面を検知してその付近に集まるのか、といったメカニズムは解明されていませんでした。京都大学大学院理学研究科 市川正敏 講師、大村拓也 同博士課程学生、西上幸範 日本学術振興会特別研究員らの研究グループは、東北大学の石川拓司教授、基礎生物学研究所の野中茂紀准教授との共同研究で、繊毛虫テトラヒメナが壁面付近を泳ぐ際の動きを実験で観測し、計測結果を流体シミュレーションで検証しました。その結果、繊毛虫が壁面にとどまり続ける性質が「推進力を生み出す繊毛の機械的な刺激応答特性」と「細胞形状」という単純な2つの要素だけで説明できることを明らかにしました。それにより、餌を食べる際の壁を這う運動と、餌場を探して壁から壁へと水中を高速で泳ぐ2つの運動とが、テトラヒメナ自身も特に意識すること無く自動的にスイッチする形で両立されている事が分かりました。本研究成果は2018年3月12日に、「米国科学アカデミー紀要」(Proceedings of the National Academy of Sciences:PNAS)のオンライン版に掲載されました。

1.背景

微生物は生態系の維持において重要な役割を持ち、自然界において欠かせない生き物です。海や池、湖に生息する原生生物の一種、繊毛虫は水中を遊泳しながら生活する単細胞生物です。繊毛虫は水中を3次元的に自由に泳ぎ回る一方で、自然界では水底や石の表面などの液体と固体の界面付近に多く分布していることが知られています。この固液表面付近は、餌となる有機物が堆積し、自然界で生じる細胞外の流れによる影響も少ないため、繊毛虫にとって生存に有利な環境であると考えられています。しかしながら、3次元的に遊泳するはずの繊毛虫が、どのようにして2次元平面である固液界面付近に留まっているのかを、直接的に明らかにした研究はありませんでした。そこで我々は、一個体の動きに着目して顕微鏡観察を行い、実験から得られた遊泳運動に対してシンプルな流体物理モデルを使って検証することで、繊毛虫の壁面付近における遊泳ダイナミクスの特定を試みました。

2.研究手法・成果

研究では繊毛虫の一種であるテトラヒメナ(学名:Tetrahymena pyriformis)を用いました。まずは、壁ではなく餌などの別の要因に寄せられて壁に居ついているかどうかを確認するために、平滑なスライドガラス上での観察を行いました。その結果、テトラヒメナはガラス壁面でも、衝突後には壁に頭部を押し付けたまま壁面上をスライド運動する性質があることを確認しました(図1)。実験では更に、このスライド運動が細胞接着や重力の影響によるものではないことを確かめました。

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図1.ガラス面上をスライド運動するテトラヒメナ(上)とその鏡像(下)。

以上のテストから、味も臭いもなく走性の効かない「壁」という外部環境をテトラヒメナがどの様に感知するのか、そして力学的にどうやって壁面上をスライドし続けているのかという問題が残ります。そこで遊泳の推進力となっている、体中に生えている繊毛の動きに着目して運動の詳細を観察しました。すると、壁面と細胞が接している部分の繊毛は極めて運動が遅くなり、うまく推進力を生み出せていないことが分かりました。この結果から、体の周りの推進力が非対称になっているため、壁に向かって斜めに泳ぐスライド運動が生じているのではないか?という仮説を立てました。

推進力の非対称性がスライド運動の力学的因子であることを証明するため、微生物遊泳モデルを使った流体シミュレーションで検証を行いました。これまでの理論モデルでは壁をスライドする安定軌道は存在しません。シミュレーションでも先行研究で行われてきた計算条件ではスライド運動は再現できませんでしたが、今回の実験結果を取り入れた物理モデルでは実際の細胞の角度や速度がよく一致したスライド運動を再現することが出来ました(図2)。さらに、実験を再現するための要素として、細胞の形状が楕円体であることも重要であることが分かりました。テトラヒメナやゾウリムシといった実際の繊毛虫も、球形ではなく洋ナシ形や楕円体などのやや細く伸びた楕円体です。これらのシミュレーション結果から、推進力非対称性、細胞形状という2つの力学パラメータがスライド運動に大きく寄与していることが明らかになりました。

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図2.壁面に衝突するテトラヒメナのコマ送り画像(上)と流体シミュレーション結果(下)

3.波及効果、今後の予定

本研究によって、複雑に見える繊毛虫の行動が簡単な原理で実装されている事が判明しました。これまでも、餌や仲間から出て来る特定の化学物質に向かって動く走化性、光に向かったり逃げたりする走光性など、走性と呼ばれる性質は、神経系を持たない単細胞生物が巧妙な生化学反応の結果として見せる知的応答として活発に研究されてきています。本研究は新たに、繊毛虫が機械的な仕組みによって走性と同等の機構を持っている事を初めて示しました。今後は、壁付近を好むこの性質が、繊毛虫の生態にどこまで関与しているのかを具体的に調べていきたいと考えています。

4.研究プロジェクトについて

本研究は、JSPS 科研費No. JP26707020 若手研究(A)、JP25103012 新学術領域研究「ゆらぎと構造の協奏:非平衡系における普遍法則の確立」、特別研究員奨励費 JP17J06827 及び JP17J10331の支援を受けました。また、基礎生物学研究所 共同利用研究 17-503、京都大学理学研究科 数理を基盤として新分野の自発的創出を促す理学教育プログラム(MACS教育プログラム)からのサポートを受けました。テトラヒメナは筑波大学沼田治教授・中野賢太郎博士からの提供株です。ゾウリムシは国立研究開発法人医療研究開発機構 (AMED)のNBRPの支援によって、山口大学の共生生物学研究室から提供された株です。

<論文タイトルと著者>

タイトル:Simple mechanosense and response of cilia motion reveal the intrinsic habits of ciliates

著者:Takuya Ohmura, Yukinori Nishigami, Atsushi Taniguchi, Shigenori Nonaka, Junichi Manabe, Takuji Ishikawa, Masatoshi Ichikawa

掲載誌:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America

Doi:10.1073/pnas.1718294115

<お問い合わせ先>

市川正敏

京都大学大学院理学研究科 物理学第一教室 時空間秩序・生命物理研究室 講師

 

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