軽量化を可能にする鋼材開発に向けた新たな分析手法の確立

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ものづくり現場における小型中性子源の貢献

2018年2月5日
理化学研究所
日本原子力研究開発機構
東京都市大学

要旨

理化学研究所(理研)光量子工学研究領域中性子ビーム技術開発チームの池田義雅特別研究員、大竹淑恵チームリーダー、日本原子力研究開発機構物質科学研究センターの鈴木裕士グループリーダー、東京都市大学工学部の熊谷正芳講師らの共同研究グループ※は、「理研小型加速器中性子源システムRANS(ランズ)[1]」を用いて、鉄鋼材料軽量化の鍵となるオーステナイト[2]相分率の測定に成功しました。

近年、地球温暖化対策として二酸化炭素(CO2)排出量の削減が求められており、自動車などの輸送機器では、軽量化による燃費向上が急務です。自動車の軽量化には、薄くかつ高強度の高張力鋼が適しています。近年多く活用されつつある高性能な高張力鋼には、オーステナイトを活用して、高い延性[3]と高強度を同時に実現した複相鋼があります。この複相鋼は、加工とともにオーステナイトがより硬い結晶相であるマルテンサイト[4]に変態するため、高延性かつ高強度となります。このようにオーステナイトは積極的に活用される一方で、焼き入れ[5]が不完全なことにより生じた相「残留オーステナイト」になるという側面があり、硬さの低下や、外力や経年による寸法変化などの原因にもなります。したがって、鋼材の品質・性能を保つには、オーステナイトの相分率やその変化を正しく測定・制御することが重要です。相分率を鉄鋼材料のバルク[6]に対して測定するには、鋼材に対して透過性の高い中性子を用いる中性子回折法[7]が有効です。しかし、その中性子源は研究用原子炉などの大型実験施設に限られ、企業の研究室や工場などでの利用が期待される小型中性子源では、ビーム強度が低くこれまで測定されてきませんでした。

今回、共同研究グループは、オーステナイトを含む2相からなる複相鋼をサンプルとして、RANSで中性子回折測定を行いました。回折計の構築では、遮蔽を効率的に配置してバックグラウンドノイズを低減することで、2相それぞれの回折ピークを識別できるようにしました。その結果、複相鋼のオーステナイト相分率を1%以下の精度で測定することに成功しました。これは大型実験施設での測定結果と一致しており、小型中性子源の有用性が示されました。また、開発した回折計は小型装置の利点を生かすため、小型化することで各装置やサンプルへのアクセス性も確保されています。

本技術は今後、材料の基礎研究、新材料開発及び品質検査のために行われる研究室レベルでの相分率測定に利用されると期待できます。

本研究成果は、日本鉄鋼協会『鉄と鋼』(3月1日号)に掲載されるのに先立ち、オンライン早期公開版(2月5日付け)に掲載されます。

本研究の一部は、日本鉄鋼協会「小型中性子源による鉄鋼組織解析法」研究会I、文部科学省「光・量子融合連携研究開発プログラム」の支援を受けて実施しました。

※共同研究グループ
理化学研究所 光量子工学研究領域 光量子技術基盤開発グループ
中性子ビーム技術開発チーム
チームリーダー   大竹 淑恵 (おおたけ よしえ)
特別研究員     池田 義雅 (いけだ よしまさ)
上級研究員     高村 正人 (たかむら まさと)
特別研究員     箱山 智之 (はこやま ともゆき)
日本原子力研究開発機構 物質科学研究センター
グループリーダー  鈴木 裕士 (すずき ひろし)
(理化学研究所 光量子工学研究領域 光量子技術基盤開発グループ 中性子ビーム技術開発チーム 客員研究員)
東京都市大学 工学部 機械システム工学科
講師        熊谷 正芳 (くまがい まさよし)
(理化学研究所 光量子工学研究領域 光量子技術基盤開発 グループ中性子ビーム技術開発チーム 客員研究員)

1.背景

近年、地球温暖化対策として二酸化炭素(CO2)排出量の削減が求められており、自動車などの輸送機器は、軽量化による燃費向上が急務となっています。自動車の軽量化には、車体の主材料として最も多く使われている鋼板の厚さを薄くすることが有効とされています。そのためには、薄くても高い引張り強度(強度)を維持できる高張力鋼板の利用拡大が望まれます。しかし一般的には、鋼の強度が高くなるにつれて延性が低下し、プレス加工が難しくなります(図1)。そこで、強度とプレス加工性を高い次元で両立した材料の開発が重要です。

図1 鋼板の引張り強度と伸び(加工性)の関係性
横軸の引張り強度が高いほど縦軸の加工性が低くなる。高張力鋼板の利用拡大には、強度と加工性を両立する鋼材を開発することが重要。

現在、高張力鋼の中でも、「オーステナイト」を含む複数の結晶相から成る複相鋼が広く使用されています。複相鋼は、加工とともに、オーステナイトがより硬質な結晶相であるマルテンサイトに変態するため、延性に富み、かつ強度が高いという優れた性質を有します。このように、複相鋼においてオーステナイトは積極的に活用されています。

一方、オーステナイトは焼き入れが不完全なため変態せずに残った相であり、「残留オーステナイト」と呼ばれます。硬さの低下や、外力や経年による寸法変化などの原因になるという一面もあり、鋼材の用途によっては、オーステナイトは極力減らしたいという場合があります。したがって、オーステナイトの相分率を正しく把握して制御することは、新たな高張力鋼板の開発につながるだけでなく、製品の品質維持の面でも極めて重要です。

オーステナイト相分率の測定には、量子ビーム[8]による回折測定がよく用いられています。しかし、一般的によく用いられるX線回折法[9]や電子線後方散乱回折法[10]では、鋼板のごく表面層の相分率しか測定できません。したがって、これらの手法は、強度や加工性といったマクロな特性の評価には必ずしも適しているとは言えません。

これに対して、中性子回折法は、鉄鋼材料内部の結晶情報をバルク平均で得られる特徴を持つことから、オーステナイト相分率の測定手段として注目されています。しかし、現状では中性子回折測定が可能な中性子源は、研究用原子炉や大型加速器施設などの大型実験施設に限られ、ユーザーが頻繁に測定する機会を得ることは困難です。一方、理研では、大学や企業の研究室、工場などの現場で手軽に使える中性子源として、「理研小型加速器中性子源システムRANS(ランズ)」を構築し、その利用技術の研究開発を進めてきました(図2)。

図2 RANSの基本構造
陽子を加速し、ターゲットステーション内にあるベリリウム(Be)薄膜に衝突させて核反応を起こし、中性子を発生させる。

小型中性子源は大型実験施設と比較して、ビーム強度が低いため、中性子回折法での測定は困難でした。RANSによって複相鋼のオーステナイト相分率の測定が可能になれば、研究室レベルの中性子利用により、新しい材料開発や鋼材の品質管理などの手法が大きく進歩すると期待できます。そこで共同研究グループは、RANSを用いた回折測定の実現を目指しました。

2.研究手法と成果

共同研究グループは、フェライト[11]とオーステナイトの2相から成る複相鋼を用意しました。回折測定では、結晶の構造によって決まった回折パターンが得られます。今回の複相鋼では、2種類の相由来の回折ピークが同時に得られることから、これらの強度を比較することで、オーステナイト相分率を求めることができます。

回折計の構築では、遮蔽を効率的に配置することでバックグラウンドノイズを低減し、中性子ビームを有効利用することで、出力の小さい小型中性子源でも複数の回折ピークを識別できるようにしました。また、小型装置の強みである利便性や手軽さを生かすため、回折計自体も小型化し、各装置やサンプルへのアクセス性を確保しました。さらにサンプルの全方向が測定できるように、サンプルを2軸回転させる方式を取り入れました(図3)。

図3 RANSと回折計の改良
今回、2軸回転できるユーレリアンクレードルを用いてサンプルを回転させながら測定することで、サンプルの全方向が測定できるよう改良した。

この方式により、サンプルの全方位を5時間で測定でき、オーステナイトとフェライトの両回折ピークを測定することに成功しました(図4)。また、用意したサンプル中のオーステナイト相分率を1%以下の精度で測定することにも成功しました。今回の測定結果は、大型実験施設を用いた場合の測定結果と一致しており、小型中性子源の有用性が示されました。

図4 RANSの回折測定で得られた複相鋼のオーステナイトとフェライトの回折ピーク
本実験の測定結果(赤点)を理論予測と照らし合わせて線を引き(赤線)、各ピーク強度を求める(リートベルト法)。理論的に予測されるフェライト相からの回折ピークの出る位置を緑色、オーステナイト相からの回折ピークの出る位置を黄色で示す。両相からの回折ピークが同時に測定されており、これらの強度比から、サンプル内のフェライト/オーステナイトの割合を知ることができる。大型実験施設を用いた場合の測定結果とも一致しており、小型中性子源の有用性が示された。

3.今後の期待

今後、さらなる検出器の増設や中性子源の改良によって、本手法の測定時間の短縮と精度の向上が見込まれます。また、大型実験施設と比べてビーム強度と分解能で劣る小型中性子源であっても、研究室や工場レベルでの日常的利用が展望できます。

小型中性子源は多くの分野、産業分野に展開していくと考えられており、本手法は今後、鋼材の品質管理や開発にとどまらず、広く材料の基礎研究や新素材開発および品質検査といったものづくり現場に貢献することが期待できます。

4.論文情報

<タイトル>
「小型中性子源の現場利用を目指した残留オーステナイト相分率測定手法の開発」
“Development of on-site measurement technique of retained austenite volume fraction by compact neutron source RANS”

<著者名>
池田義雅、高村正人、箱山智之、大竹淑恵、熊谷正芳、鈴木裕士

<雑誌>
鉄と鋼 Vol. 104, No. 3

<DOI>
10.2355/tetsutohagane.TETSU-2017-080

5.補足説明
[1] 理研小型中性子源システムRANS(ランズ)

理研が開発し、現在高度化を行っている普及型の小型中性子源システムで、中性子ビームが2013年1月に取り出された。J-PARCに代表される大型中性子源より手軽な装置として、中性子線利用に適した金属材料や軽元素を扱うものづくり現場への普及を目指している。また、小型な可搬型加速器中性子源と大面積全天候型高速中性子イメージング検出器の開発も進めており、これらと強度予測シミュレーション全体を有機的に組み合わせた、橋梁などの大型構造物非破壊検査健全性診断システムを確立することを最終目標としている。RANSは、RIKEN Accelerator-driven Neutron Source の略称。

[2] オーステナイト

鉄鋼の組織名の一つ。面心立方構造をもつ。鉄の同素体の一つであるγ鉄(600~1,400℃で安定)に炭素などが溶け込んだ固溶体のこと。高温で強度が高く、低温でも、もろくなりにくい。後述するマルテンサイトやフェライトは体心立方構造の結晶格子を持つため、中性子回折やX線回折により得られる回折ピークの位置がそれらの相とは異なる。焼き入れが不完全なため変態せずに残った相の場合、残留オーステナイトとも呼ばれる。

[3] 延性

長く引き延ばされる性質のこと。

[4] マルテンサイト

鉄鋼の組織名の一つ。鉄鋼材料をオーステナイト相が安定な高温域から急冷することによって得られる組織で、鉄鋼材料の組織の中で最も硬い組織。体心立方格子の鉄の結晶に炭素が入り込んだ構造を持つ。

[5] 焼き入れ

鉄鋼材料の熱処理の一種。鋼を硬くするために、高温に加熱した鋼を水(または油)に入れて急冷する操作。

[6] バルク

界面などが有している特異な性質とは異なり、物質本来の性質が現れる一定レベル(ここでは例えば1mm3程度)以上の体積を持つかたまり。

[7] 中性子回折法

中性子線の持つ波の性質を利用して、結晶の格子面間隔のような整列した原子で回折を起こし、その間隔を測定する手法。回折の強度から結晶の向きや量を測ることができる。回折法では測定したい間隔(鋼材では0.05~0.3ナノメートル程度)に近い波長を持つ放射線を使用し、中性子線の他にもX線や電子線を用いた回折法が有名。中性子線は鋼材に対して比較的透過性が高く、数ミリから数センチメートル程度の内部まで測定できる。

[8] 量子ビーム

研究用原子炉、加速器、高出力レーザー装置などの施設・設備を用いて得られる、高強度・高品位の中性子ビーム、イオンビーム、電子線などの粒子線や、高強度レーザー、放射光、ガンマ線などを総称したもの。量子とは波の性質と粒子の性質を併せ持つことを意味し、波の性質は回折に用いられる。高精度な加工や観察、治療などにも利用される。

[9] X線回折

X線を用いた回折法。鋼材に対して透過性は低く、数十マイクロメートル程度の表面しか測定できないが、照射装置が中性子や電子線に比べて小型で入手しやすいため広く利用される。

[10] 電子線後方散乱回折

電子線を用いた回折法。鋼材に対して透過性は低くなるため、数十ナノメートル程度の表面しか測定できないが、数十ナノメートル程度までビーム径を細く当てることができるため、試料面に対して空間分解能の高い測定ができる。

[11] フェライト

鉄鋼の組織名の一つ。低温で安定な鉄の同素体α鉄およびその固溶体。体心立法構造を持つ。

参考部門・拠点: 物質科学研究センター

 

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